チェコ国内個人ツアー

弊社コンチネンタル・トラベルでは様々なプラハ市内とチェコ国内の個人ツアーをご提供しています。旧市街の旅情溢れる街並みや歴史とモダンが共存するプラハの街でのご散策をお楽しみください。弊社の経験豊富な日本語ライセンスガイドが美しい城やユネスコ世界遺産などのチェコの魅力をご案内します。弊社のツアーは全てプライベートです。多言語との混載なることはありません。

行先をお選びください:

プラハ半日観光ツアー
364 EUR から
(= 65 EUR から / 一人当たり)
 所要時間: 4 時間

P1 - プラハ半日観光

ヨーロッパ随一と言われるプラハの中でも、最も美しい町並みを回る半日ツアーです。行き先はプラハ城、カレル橋、旧市街広場となります。

プラハ一日観光ツアー
728 EUR から
(= 129 EUR から / 一人当たり)
 所要時間: 8 時間

P2 - プラハ一日観光

プラハ一日個人観光ツアー:行き先はプラハ城カレル橋旧市街広場、旧市街地区、市民会館、ヴィシェフラドとなります。

プラハユダヤ人街
228 EUR から
(= 41 EUR から / 一人当たり)
 所要時間: 4 時間

P3 - プラハユダヤ人街

プラハのユダヤ人街は中央ヨーロッパで最もよく保存されています。このツアーはユダヤ博物館と新旧シナゴーグのツアーが含まれています。

プラハ観光について

チェコ共和国の首都であるプラハは、「黄金の街」、「母なる都市」、「百等の街」の異名を持っています。ヨーロッパのまさにど真ん中にある素晴らしい立地条件も、チェコの大きな魅力の一つです。プラハは、第二次世界大戦の攻撃も逃れ、今尚、多数の歴史的建造物が見事に保存されており、街の歴史中心地区全体が、ユネスコの世界遺産に登録されています。プラハの観光中は、旧市街地を歩きながらの歴史的、幻想的な街並みを満喫したり、近代都市プラハの便利な交通機関、ホテルサービスも魅力的で、レストランでは郷土料理から、国際料理まで様々な料理が楽しめます。プラハは、芸術文化レベルが非常に高い都市であることは有名であり、ギャラリー、博物館、コンサートなど、様々なイベントに参加し、有意義な時間をお過し頂けます。


プラハの美しい景色の写真:

もし、プラハでの滞在期間が長くなる場合は、チェコの中心に位置しているプラハの便利なロケーションを利用しない手はありません。国内には全部で12箇所がユネスコの世界遺産に登録されており、他の町にも是非、足を伸ばしてみては如何でしょうか?国内のほとんどの町・都市は、プラハから数時間の距離にあります。また、チェコ共和国は、ヨーロッパの中心にある為、他の隣国(ドイツ、オーストリア、ハンガリー、スロヴァキア、ポーランド・・)へも気軽に旅行に行くことができます。

割引価格でホテルの良い選択では、詳細については、プラハホテルをご覧ください。

 

プラハのお勧めの観光箇所

弊社のプラハ観光ツアーで訪れることができる、お勧めスポットの詳細情報です。

プラハ城

9世紀の半ばに城の建設が始まり、12世紀にロマネスク様式の宮殿が完成し、その後、14世紀のカレル4世の治世にゴシック様式へと改修されました。王宮の最後の改修工事は15世紀の終わりに行われ、建築家ベネディクト・レイトにより、現在も荘厳な姿をほこるヴラディスラフホールもゴシック様式を用いて建てられました。

1541年の大火災の後、城の拡張工事が行われ、スペインホールは、ルドルフ2世の時代に建てられ、ようやくマリア・テレジアの時代に、建築家ニコラウス・パカッシの指示の下、全ての工事が完成を迎えます。第一次世界大戦後に、インテリアと庭園が、建築家ヨジェ・プレチュニークにより改装されました。現在、城は大統領府として利用されています。

プラハ城の最も人気の観光スポットは(16世紀に建てられた)旧王宮聖ヴィート大聖堂(チェコを象徴する建造物であり、1344年に工事着工、完成したのは1929年のことです。)、(20世紀の初めにゴシック様式の要塞 に組み込まれた小さな家々が並ぶ)黄金の小道聖イージー教会(チェコ国立美術館の19世紀の美術展を開催)、城の庭園です。

 


カレル橋

カレル橋の建設は、ジュディシュ橋が洪水で破壊された後、1357年に始まりました。カレル橋は、昔からプラハの町の昔象徴の一つであり、皆に愛され続けてきました。この現存する世界最古の石橋は、19世紀終わりまでヴルタヴァ川と旧市街並びに、その周囲をつなぐ唯一の橋でもありました。カレル橋は、パリにあるポンヌフ橋の見本にもされ、カレル4世の指示により、橋がありとあらゆる災害にも耐えうる強度を持つよう、建築材料に大量の卵の殻が混ぜられて使われたとも言われています。

カレル橋の写真:


 

プラハの旧市街広場


旧市街広場は、中世プラハの中心地であり、その起源は12世紀にまで遡ります。数々の重要な歴史的事件が起こった場所でもあり、広場には様々な時代の建築様式で建てられた、色取り取りの美しい建物が並んでいます。バロック、ルネッサンス様式でできたファサードの地下にはゴシック、ロマネスク時代の地下室が隠れていることもあります。歩行者天国のこの広場では、自然と人々が集まり、露店が並び、ストリートパフォーマー達で毎日賑わっています。

 

ダンシング・ビル・プラハ

 

1995年に完成したダンシング・ビルはヴルタヴァ川の川岸沿いに立ち、地下鉄の駅から徒歩で数分の距離にあります。建築家フランク・ゲーリーと、ヴラド・ミルニッチが、オランダの保険会社の依頼により設計にあたりました。建物内は一般公開されていませんのでご了承下さい。

 

プラハのロレッタ教会

 

教会は元々1626~31年に、サンタ・カース(聖なる家)を模して建てられ、1734~35年にはバロック様式の教会が建てられた。ファサードの建設工事はディーツェンホーファー父子の指示により、1720~1722年に行われました。バロック式の鐘楼には27個の鐘が収められており、(朝8時から夕方の6時まで)毎正時に「マリアの歌(昔の巡礼歌)」を奏でています。教会内には財宝室があり、宗教儀式に使用されていた道具が展示されています。中でもすばらしいのが、総重量12キロにもおよぶ6222個のダイヤモンドがはめ込まれた整体顕示台です。

 

プラハ市民会館と火薬塔

この二つの建物の19世紀から20世紀の建築様式は、全くユニークな調和を造り上げています。ネオバッロク、ネオルネッサンス様式及び、西欧東洋の影響がチェコのアール・ヌーボーに交じり合っています。市民会館の魅力は、華麗な装飾と、非常に完成度の高い建築技術です。建物の装飾はチェコの芸術家達による、アールヌーヴォーの華麗な装飾が施されています。具体的には、アルフォンス・ムハ(ミュシャ)、ミコラシュ・アレシュ、ヴァーツラフ・ヤンサ、マックス・スヴァビンスキー、彫刻家のヨゼフ・ヴァーツラフ・ミスルベク、カレル・ノヴァーク、フランティーシェク・ウプルカです。市民会館の中にある、スメタナ・ホールでは、「プラハの春」で有名な、音楽際のオープニングコンサートが毎年行われています。

 

ヨゼホフ-旧ユダヤ人地区


このユダヤ人地区の起源は13世紀まで遡り、1893年~1913年にかけて街の大整備が行われた結果、現在ではいくつかの重要な建造物が残るのみとなりました。ユダヤ人居住区の大部分は、華やかなアールヌーヴォー様式で新たに立て直されてしまったものの、今だ、当時の独特の雰囲気と、ヨーロッパで最も多くのユダヤ人の歴史的重要建造物が残されております。具体的には、ユダヤ人地区集会場、旧ユダヤ人墓地並びに、数々のシナゴーグなどが、当時のままの姿で残っています。

 

ぺトシーン公園

プラハ城のすぐ隣の丘の上にあるのが、素晴らしい見晴らしが魅力的なぺトシーン公園です。騒がしい街から離れて、心地よい散歩ができ、公園内に栽培されているりんごや洋ナシの木の実を自由に採取することもできます。丘の頂上にあるのが展望台と庭園です。また、鏡の迷路では、あらたな自分の姿が発見できるかもしれません。

 

ストラホフ修道院


この旧修道院は世界で最も古いプレモントレ修道院の一つであり、1143年に創建以来、修道院として利用され、フス戦争、宗教戦争の際は火事に見舞われました。また、共産主義体制時は、修道院は閉鎖されてしまいました。ストラホフ修道院は、修道院としての役割以外にも、文化・社会的、役割も果たしており、現在は、貴重な図書館、写真ギャラリーが一般公開されています。

 

勝利のマリア教会・プラハの幼子イエズス


幼子イエズスの崇拝が始まったのはバロック時代まで遡ります。1631年に、サクソン族によりプラハが占領された際、この修道院も襲撃を受け、その時に幼子イエズスの像は祭壇の裏に投げ捨てられ、両手が取れたまま放置されていました。後に、プラハ市民の募金により、壊れた腕の修理が行われました。こうして、幼子イエズスの像は再び、崇拝の対象に復活し、様々の奇跡を起こしてきたと言われています。この燭像の高さは、47センチで、破損などを防ぐ為に銀製の覆いによって保護されています。像は常に着飾られており、これまでに70以上ものドレスが寄贈されています。一番古いドレスは1700年のもので、マリア・テレジアもドレスを寄贈した記録があり、現在も世界中からドレスが贈られいます。

 

トロヤ城

 

この広大な庭園と宮殿はJ.B.マテイにより、1679~1685年にかけて創建されました。城館は大きく三つの建物と大ホールとから成り、ホールのフレスコ画は、A.ゴダンとその息子イサックの作品です。また、庭園にある階段は様々な神々の彫像で飾られており、これらはドレスデンの彫刻家J.J.とP.ヘルマンの作品で、ティタンの戦いを表現しています。

 

ヴァーツラフ広場


この広場は元々、馬市場としてカレル4世により1348年に造られました。1848年に、プラハの守護神及び、殉職者である、聖ヴァーツラフの名を取って改名されました。幅60メートル、全長750メートルあり、正方形というよりは細長い長方形型の広場です。広場の両脇には、ホテル、レストラン、お店がずらりと並んでおり、共産主義崩壊がもたらした、20世紀最高かつ最悪の資本主義への大変動が顕著に顕れています。

プラハ市内のミュージアムと、ギャラリー

プラハ市内のミュージアムと、ギャラリー

旧ユダヤ人地区の美術館
ベルトラムか:モーザルト美術館
ドボザーク美術館
スメタナ美術館
ミュシャ美術館
チェコナショナルギャラリー

 

プラハ市内のオペラ・コンサートホール

チェコ国民劇所
チェコ国民劇所
チェコ・フィルハーモニー
プラハ市民会館
エステート劇所