T17 - ズヴィーコフ城&オルリーク城
ヴルタヴァ川を見下している、草木が青々と茂った丘陵地にあるオルリーク城は、13世紀に初期ゴシック様式風に創建されました。また、19世紀に大規模な改修工事が行われ、似つかわしいネオゴシック様式に生まれ変わりました。この城は1700年代初期にシュワルツェンベルク家が所有していましたが、共産主義体制時代の1940代に国に没収され、体制崩壊後にまた返還されました。城の内装は帝国時代様式に改装され、年代物の家具や武器コレクションが展示されています。また、「帝国の間」の天井がには大変見事な彫刻が施されています。 ズヴィーコフ城は、チェコ国内で最も重要なゴシック様式の城の一つです。ズヴィーコフ城は、ヴルタヴァ川とオタヴァ川の合流地点を見下ろす高い丘の上に建てられましたが、ダムが建設された現在は、水面からわずか数メートルの高さにあります。ズヴィーコフ城は、王子プシェミスル・オタカル一世(1230年没)時代の後半に建設されました。
ツアー内容:ズヴィーコフ城、オルリーク城
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オルリーク城について
水に浮かぶ城オルリークは、プラハの北70kmの位置にあり、周囲をダムと森に囲まれています。
オルリーク城の写真:
観光情報
オルリーク城は、13世紀に初期ゴシック様式に創建され、1849年~1860年にかけて、建築家B.グルーバーの指揮の下、大規模な改修工事が行われた結果、ネオゴシック様式の城に生まれ変わりました。城の敷地内には、180ヘクターにも及ぶ広大な公園も含まれています。城内の「帝国の小広間」、「帝国の大広間」、「テスカの間」は非常に華麗なものです。帝国の小広間には、シュワルツェンベクルク家のポートレートが並んでおり、帝国の大広間には、ナポレオン時代の家具が飾られています。この家具は、一家の跡継ぎがパリのオーストリア領事館で働いていた時代のものです。テスカの間は、ボヘミア出身の優秀な木彫刻師ヤン・テスカにより彫られた優美な天井彫刻と、ハバナ製の陶器ストーブが特徴です。その他、城内には武器、装飾品のコレクション、ナポレオン、ロシア皇帝に向けた贈呈品、図書館に収められている1万8千冊の蔵書、300にも及ぶ鉄砲が展示されています。
1849~1860年に、建築家B.グルーバーの指揮の下行われた最後の大規模な改修工事により、ファサードも加わりようやく現在のネオゴシック様式の姿になりました。その後、19世紀の始めにシュワルツェンベルク家のカール・フィリップ元帥と、妻アンナ・マリアにより製作が進められた、庭園のレイアウトを基に造られた180ヘクターの庭園も加わりました。
城から北西の方角には、1861~1864年にかけて一族の納骨堂も造られました。城は元々、高い丘の上に建てられましたが、1960年代に建設されたダムの結果、ヴルタヴァ川の水面は60メートルも上がり、水面からわずか数メートルの高さにある「水上の城」としてその姿を変えました。
ズヴィーコヴ城について
水上に浮かぶ城ズヴィーコフは、プラハから南に130kmの位置にあります。
ズヴィーコヴ城の写真:
観光情報
ボヘミア王ヴェンツェスラス1世は、1234年にヴルタヴァ川とオタヴァ川の合流地付近の丘の上に、この豪華なゴシック様式の城の建設を始めました。城の主要部分は、ヴェンツェスラス1世の息子、プシェミスル・オタカル2世により創建されました。4つの大きなゴシック様式の城館部分が加わり、当時では珍しい独特の外観を持つ城が造られました。庭、地上階、城館の全てが、円状の窓を持つアーケードにより連結されています。
共産主義時代に、この地にダムが造られた結果、城は、元より大分水面に近い位置に立つことになりました。また、ズヴィーコフ城は、数々の映画の撮影にも使われております。